Shiba's House

「文鎮」を捨てない母にリスペクトを覚えた話。

「物を大切にしよう」は、いつの時代も言われてることだって思うけど、我が家は「大切にする」の概念の違いで、時たま齟齬が起きたことがある。
主に、母(現在80代)と我ら(私と子ども達)の間で起こることが多かったが、そのココロは:

母にとっての「大切にする」=状態に関わらず末永く所有する
我らにとっての「大切にする」=手放すことになった際に残存価額が多く残るように、美観を保てるように丁寧に使う

実は、私自身も21世紀にはいるまでは、母にとっての「大切にする」とほぼ同じだった。
夫は、自分の持ち物への接し方は母に近く、機種変し終えた旧スマホは未だに「当時撮った写真や取り込んだ音楽」を見聞きするのか、イヤホンがつながってて稼働してる。※おそらくサポート切れてるだろうが、それでも、だ
だが私は、勤めていなかった子ども達の小学生時代に、趣味費用を節約するために「償却(=不要になったものや十分すぎるほどたくさん持っているものを現金化する)」を覚えてしまった!
それによって、所有物の数を増やさずに新規購入を楽しめるようになった。
同時に、所有物にサヨナラする時により多く現金を得られるように、傷をつけないように丁寧に(少しだけ他人に対してピリピリもしながら?)モノを使うようになった。

しば
しば

実は、子ども達がモノのおねだりをした時にも使ったんだ。
「(ねだるモノが)本気でほしいなら、代わりに何か売れ」って言って。

その成果なのかどうなのか、子ども達は私が10歳未満や10代の頃よりも、いわゆる「無駄遣い」「衝動買い」をしていないように思う。
「今持っているものを何か手放しててでも、それが欲しいか?」と考えてからモノを買うように刷り込んだから。
彼らが「今持っているものを何か手放してでも、本気でほしい」と望んだモノを手に入れる前や手に入れた後には、彼らのU18時代は私自身が名義貸しして彼らのブツを持ってリサイクルショップに行って、現金だけ元の持ち主に渡す・・・ということもしていた。

[次ページ] 物を「ずっと持っていたい」と思うに至るまでの心の動き?的な何か

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