Shiba's House

謹賀新年。独り温故知新なお正月

明けましておめでとうございます。
ご来光は、晴れてる限り根本的には諦めてません。
「遠征」(=市外に撮影に出かけること)こそ諦めたけど、その分徒歩圏とか自転車圏で撮影するようにしているよ。

何のために初日の出を拝むのか、のそもそもの部分を再考させられる出来事

今年の元日の朝も、晴れた。
めでたいぞ!
だが私はご来光を撮りに行くにしては寝坊した。
布団から出たのが05:40am、これではギリギリ徒歩圏の見晴らし場まで歩いたら日の出時刻に間に合わない。
自転車で行けばギリギリ・・・と思ってデジイチを自転車に積み込んで家を出ると、ほどなくして自転車に異変!
ペダルが異様に重いし、ガタン、ガタンと硬いものが路面に当たる音がする。

しば
しば

このタイミングで、自転車パンクしたか?

自転車で順当に行けばギリギリ撮影第一候補の見晴らし場に着ける算段だったのが、それさえも危うくなってくる。
06:35amの時点で、家から目標地点まで道のり半分くらい。
日の出時刻の5分前までには撮影地点に入って、カメラを構えていたい。
(日の出直前の空も撮って、最終的なズーム倍率やカメラ側設定を決める)
第一候補地を諦めて、家族のお墓の裏手に徒歩でしか通れない丘を発見したので、路肩に自転車を停めてそこで撮影することにした。

01/01/2025ご来光日の出直前

私が急きょ撮影場所に選んだ丘には、先客がいた。
私が遮蔽物の少なそうな場所を探していると、彼が「オレがいる辺りが一番よく見えるんだ」と教えてくれた。
近くにコンクリートブロックが横たわっていたので、そこに肘をついてカメラを握って手振れを防ぐ。
私がカメラを構えた後に、さらに2、3人同じ場所にやってきた。

01/01/2025ご来光昇り始め超初期

「今日はいつもより雲が多いんでねぇか?」
「木ィがなければもっときれいなんだがな」
—などと談笑しながら、私以外の人達は気楽に(=長いレンズ付きカメラ無しで、の意味)ご来光を拝んでいる。

01/01/2025ご来光ほぼ木漏れ日

最初に予定してた見晴らし場で撮ったならば、全体の3/4くらいは地平線から出た状態くらいだろうなぁ。
今年撮ったご来光の中では、「想像してたのとは違うけど、こういうのもアリかなぁ」と思う画になったのが上の写真。
私ははじめ、初日の出はデジイチ撮影の被写体として捉えて、明らかに遮蔽物がない場所を事前に探して、日の出前からそこに行って(時には場所取りもして)カメラを構えていたけれど、元来初日の出はカメラに収めて楽しむものではない。厳密には
むしろカメラに収めるかどうかは二の次で、ご来光とともに「歳神様」がやってくるので、歳神様に祈りを捧げながら、単純に、脳内空っぽにして、昇りくる朝日を見ればよいのだ。
一昔前、とある海岸でご来光を撮影したことがあるのだが、その時は結構小さい子連れの一家が温かいペットボトル茶で手を暖めながらワンボックスカーでご来光を拝みに来ていたり、カップルがスマホ握って水平線を見つめていたりしてるのを見かけたが、むしろ彼らこそが本来のご来光詣でをしているのだ・・・と見識を改めるのに、一晩要した。

「初日の出」from 暦生活

https://www.543life.com/content/koyomi/post20250101.html?srsltid=AfmBOorBD6RT8bEaI31uq4wJJxBhOxZA6KMMNry2ZkBHbaMWafL3R6l0

写真を撮るなら無意識に映える画を狙ってしまいがちだけど、少なくとも初日の出撮影に関しては、①初日の出を見られるだけでラッキー!、②初日の出をカメラやスマホに収められれば超ラッキー!!、③初日の出を撮った写真に映り込んだ遮蔽物にも歳神様がいらっしゃる —と、元日から3日経って、初日の出への気持ちに深まりが出たのを感じ始めた。
あいにく我が家の先代は、祖父母の代から大晦日に紅白見て除夜の鐘聞いて、少しだけ年をまたいで、元日は(朝から雑煮焚きはするけど)遅起きでも可・・・としてきたみたい。
私は、写真を趣味にしたことがきっかけで、奇しくも温故知新な元旦を過ごしてるようだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA