大変ご無沙汰いたしました。
数えてみたら、丸3か月。
リアルタイムで丸3か月ブログを更新しなかったことは、過去に1度か2度あったけれど、ネット上での活動を完全停止が3か月続いたのは、webサイト始めて以来(2003~ )初だと思う。
ブログ更新 => ネットにボチボチですが、復帰です。
改めまして、よろしくお願いいたします。
(ドメインとレンタルサーバーに金💰ってるんだから、もっと更新楽しまなきゃ損だ)
しばのネット上での活動を止めたモノは何か?
思いつくものは、2つ。
-
新型コロナウィルスの蔓延に伴う「何でもできる限りオンライン化」施策
-
とあるバカ売れゲームソフト
1)が背景にあって、そこに2)がやってきてしまったので、だんだんPCを立ち上げる頻度も下がってきてしまった。
正直、堕落した。
悔しいけど・・・
ちなみに、2)の「とあるバカ売れゲームソフト」は、4月までは「絶対に手を出さないぞ」と念じていたモノでもあった。
それを、娘1が母の日プレゼントに進呈してきたもんで・・・
しかも世が世なんで、たとえ家族とて、県境をまたいで会いに行くことは新型コロナ感染リスクでしかない。
さらに水戸単独でも新規患者が毎日出ているような時期は、県内でさえも市町村を越えての移動は、通勤・通学だけにしないとヤバい空気感。(しばは職場が市内なので、ある意味【セルフロックダウン】を実行しやすい境遇にある)
そこで、「直接会えなくなってしまった家族・友人などなど・・・が、せめて心的距離くらいはbeforeコロナの頃を保つ」手段として、ユーザー同士の交流だけでなく、いろいろカスタマイズしてゲーム内で自己表現できる系のゲームの沼に、私自身もはまってしまった。
ちなみに、件のゲームを始める前、私は【マスコミよりも半歩、一歩、二歩・・・先を見て鉄壁の新型コロナ予防をしたい】と意気込み、TVじゃ言えないハナシ系YouTubeをいろいろ見漁っては、我が家の女子LINEグループで注意喚起の書き込みをしていた。
それが、娘達には、耐え難かったみたい。
—とのたまって、先に件のゲームを購入していた娘1からの母の日プレゼントが、ソレになった。
「さっさと始めて楽しもうぜぃ」とは娘達。
「どれどれ・・・?」と始めてみると、なかなか奥深く・・・
沼
ネットに非公開ってこんなに気楽だったのか!という気付き
2003年5月にwebサイトを始めて以来、「ネット上は、リアルで面識のある人の前では見せられない自分を表現する場」と念じて、いろんなものを発信してきた。
家族にも、ネットで書いている内容はほぼ見せてないし、仮に見せる想定をする時は、当たり障りないことだけを書く。
ツイッターも、互いにフォローしあってないし、 フェイスブックでも夫婦で相互に友達になっていない。
ただ、件のゲーム上(とニンテンドースイッチ端末)では、娘達と私は相互フレンドになって、ゲームを介してたわいない雑談をして(時にはオタ話も?)、ちょっとの間だけ新型コロナの脅威を忘れた。
その、ちょっとの間だけ新型コロナの脅威を忘れる・・・てのが、たまらなく心地よかったし、私にとっては想像以上の毒薬だった。
見るのが娘達だけなのをいいことに、互いのゲーム上で、普段は絶対言葉に出して言えない思いの表現を、やり放題・・・
デジタルワールドのほうが、素になれるのではないか?
—とさえ思うほど。
注:製造元は、ゲームにもSNS連携機能を初期設定で付けてるし、さらにはフレンド以外との交流促進のアプデも行ってます
ただし、「特定少数間でのみ公開設定に限る」←ココ重要
直接会うのがリスクな時代に、いかに友達を作る/増やす か?
思えば、自分が子どもだった頃も、大人になって子どもに何かを伝えていく年代になってからも、人脈の広げ方には「まずは直接会う」が根底にあった。
インターネットが普及してからは、教育現場では「ネットで知り合った人とは会わないように」と声高に言ってきたし(beforeコロナ時代)、リアルの知人には言えない趣味つながりの方々とネットでつながっても、「実際には会わない想定」でSNS上で交流していたり、ごくたまに「オフ会」をしても、暗に予防線を張ってすごく勇気を出して会いにいっていた。(幸い、私がこれまでオフ会してきた方々は、SNSでのプロフどおりな、実直な、いい人たちが圧倒的多数です)
極論(そして21世紀初頭から)、私はあくまで個人的に
「デジタル仕様の自分」ができていれば、直接会わずに友達を作る/増やすことは、十分可能
—という持論を持っている。
「デジタル仕様の自分」ならば、【なりたい自分(=やってみたい行動、憧れる性格設定など)】になれる。
だが、「デジタル仕様の自分」になるならば、なりたい自分 != (イコールでない)実際の自分 である限り、ネット上ではなりたい自分にトコトンなりきる(演じ抜く感じ、なりすましとは違う)ことが必須で、時に一人二役やそれ以上を演じているような心理状態(しかも演出家役も自分が兼ねる)になって、えらく気疲れする。
これまで、私は、「デジタル仕様の自分」を使って、家族やリアル知人に言えないこと(要は、ちょっとした秘密のコト)を、ネット上で発信してきた。
「デジタル仕様の自分」とリアルの自分との差異をできるだけ少なくしつつ、互いのタブーネタを極力持ち込まないようにして、実生活とネット上での活動をしてきた。
だが、今年になって、時代が急に変わってしまった。
ネット上は、いまやぶっちゃけ「人が新型コロナを心配せずに行き交うことのできる安全地帯」、新型コロナウィルス蔓延を機に、昨年までよりも(役所や芸能人の事務所などの公式サイトでなくても)公式性を帯びた場所になってしまった・・・と感じる。
昨年までは、秘密のコト用の(潜在意識の中で線引きされる)デジタル仕様の自分 になる時間を作ってネット(SNSやら、ブログやら、諸々)にログインしてきたけれど、今年は・・・「新しい生活様式」ならぬ「新しいデジタル仕様の自分」をどう生きていくか? の心構えをどうにか作り込むのに、想像以上に時間がかかった。
Withコロナ、Afterコロナ(終息見込みがないならば、ず~っとWithコロナなのか?それは嫌だ)時代の人付き合いは、令和生まれ世代や、これから生まれてくる世代の場合、友達づくりの工程そのものが今よりもっとデジタル化されて(=直接対面がない、という意味)、「既知の人か、これから出会う人か」に応じて、接し方を
(1)すでにリアル面識のある人達(家族、同僚、友達など)とネット上で付き合う
(2)これからネット上で会う、リアル人脈に加わるだろう人達との付き合い方(ネット上でと、リアル(=直接対面)での両方)
(3)これからネット上で会う(リアルでは会う想定なしの)人達とネット上で付き合う
(4)すでにリアル面識のある人達とリアルで付き合う
—で使い分けていくを、幼児期から無意識にやらなきゃならない時代が来るのかなぁ? なんて心配を、老婆心ながらしてしまう。
いっそのこと、「交流しないほうが、ラクチンかもしれない(苦痛度が、寂しさ<文字主体コミュニケーションゆえの諸問題の煩わしさ)」とさえ思ってしまう。
ネットにインしなかった時期=自分用デスクトップが整ってなかった時期
実は、この記事は、今までとは違うPCで書いている。
コロナ渦の中、娘2のPCに不具合が出だしたのが5月中旬。
一応動くんだけど、電源ボタン押すとWindowsの「ようこそ」画面の前にBIOS画面が出る。
BIOS画面出る→[ESC]キーを押す をやると起動できるのだが、娘2はその度「何これ?故障??」って私に聞いてくる(対応するのが地味にめんどくさい)。
「起動前にBIOSが出る」でググると、マザーボードの性能がかなり劣化しているとのことで・・・
これまで使ってた私のデスクトップを、娘2に進呈
(グラフィックボードをはがして、ATX電源のワットを下げて、ダウングレードして、Windowsを再セットアップしてから譲った)
そしてその後、給付金を使って自分用新デスクトップを組んだ。
完全にゲーム廃人というわけではなく(それでも99%はゲーム廃人だと思うが)、PC自作「も」した。
デスクトップ組み立てるの、楽しい♪
今回も、2台組み立てる(1台は構成変更だが)中で、新たな学びがあった。
家族に何か頼まれるめんどくささはストレスになるのに、パソコン組み立てに伴うめんどくささは楽しみや快感にさえ感じるのはなぜだろう?
コメントを残す