新年明けまして、パンドラの箱、開けちゃった・・・

平常運行なら、「明けまして おめでとうございます!」で始める 元旦の日記。
今年は、あけると危険なものを開けてしまったみたい。

 

お屠蘇と、新年のあいさつまでは、ほぼばっちりだったんだ。
私も昨年の宣言通り、ご来光撮影封印したし、夫はパラグライダー初飛行には行ったけど、母が「家族全員そろってほしい」と願っていた時刻には間に合った。
私もほんの気持ち程度のだけど、母にゴディバチョコとワインの小瓶あげたし・・・

新年初朝食がもうすぐ終わるかなぁ?・・・・て時に、私の(心の中の)「パンドラの箱」が開いてしまった。

以下、いらすと各種 「いらすとや」さんからお借りしています。

 

うちの怖~い御母は、昨年の私への叱責ワードを覚えていないかもしれない。
あるいは、叱責と思っているかもわからない。
母娘バトル全盛期は、ボイスレコーダを隠し持って怒号始まったら録音ボタン押してたこともあるが、さすがにそれはやってない。
でも、心に刺さった言葉は、耳に心地よい言葉でも辛い言葉でもブログに書き留めるようにしてるんで、状況証拠は辛うじて文字データで残せている。

昨年の今日、ブログ記事にするほど「心にしっかり刻み付けた」母の言葉だから、今年は自然と「有言実行しよう」という気持ちになるよ。
そして、「元日の朝はみんな寝坊助ねぇ~」と言われたくなくって、5:50でも「あ~やばい寝坊したぁ~」と言って起き、朝湯で気合いを入れ、7amに「お屠蘇等の支度はどうすればいいですか?」と母に電話した。
どんなに近場ででも今年撮っていれば10周年になっていたはずの、ご来光撮影。
それを辞めて、主婦らしさUPのために勝負に出たのだ。
しかし、これが滑った・・・

母:今の今まで寝てたんだけど・・・8:30amに、神棚や仏壇用の雑煮セットを取りに来て。
その後は、9amまでに他のみんなを揃える

 

このミッションはクリアして、お屠蘇と新年のあいさつも無事終了し、珍しく和やかに新年初の朝食になったから、「あぁ、今年は穏やかに過ぎるといいなぁ」と淡い期待をしてしまったのがよくなかった。
母は、「今ここに出てる献立は1amまでかかって作ったの~♪」と始め出し、私はだんだん固まっていく。
母にとっての「正月の用意タイムテーブル」は、旧年夜にがんばるのか・・・それは気づかなかったなぁ(だがそこは「来年は前夜にがんばる」ことにすればよし)
ここまでは、まだ私一人が穏やかに一人反省会をすれば済むレベルだ。

 

だが、そろそろ朝食を終えて初詣・・・という段になって、場の空気が一瞬で凍る地雷ワードが、私へと向けられた。

あんたまさか、旦那の実家に御年始(のあいさつに)行って、御馳走呼ばれたまんまで片付けしないとかやらないでしょうね?!

 

私の脳内で、金属系の歯車が高速回転で回るような音(幻聴)がした。
私と母がかれこれ10年折り合いが悪かった理由の種明かしが行われたような気分だった。
私は反射的にこう言った。
手も足も方肩も、髪の先まで小刻みにプルプルさせながら

そうか、そういうこと*だったんだ。

(※ 「結婚後は、実娘でも嫁のように振る舞う。それが主婦道」。別の言い方をすれば、母の脳内では、私の結婚と共に「母の中での娘としての私」は役割を終えて、「イエ継承者(=嫁)」としての私に切り替わった)

「甘えるもんか、甘えてたまるか!!」と自分を煽って、体当たりで同業者夫+1男2女の「共有できるものないけど平和的共存を目指す家庭」を目指してきたつもりだったけど、「イエ継承者マインドが育っていなかった」ことに気づいてしまって、言われもない悔しさが噴き出して、でも言葉は出ず、しばらく気持ちの整理がつかなかった。

 

以後、家族の空いた食器類を無言でわしづかんで、一気に食卓を片付けた。
流し台に行く時に

「母さんの信じる主婦道に、25年も気づかずにいてすいませんでした。そしてせめて、結婚したての頃に【結婚したら、私はあなたを(たとえ実娘であっても)嫁として扱います】と宣言されていたら、今頃もっと母さんと仲良くできてたと思います」

と、捨て台詞を残した。

 

せっかくの新年の朝食が、私の「パンドラの箱」(当人自覚あり)と母の「パンドラの箱」(きっと当人自覚無し、私の脳内では存在を”感じる”)のために、台無しになってしまった。
娘達の話によると、夫も「俺は母ちゃんとは険悪になった経験ないから、悪いけどおばぁとバトる時のままの気持ちは想像できない」と言っていたそうだ。
夫が母とバトってる時の私の気持ちを想像できなくても、仕方のないこと。
夫の前で母とバトってしまったのは、単に私の落ち度。
その部分は、陳謝。orz
私が、今後のために反省と対策を練れば(PDCAサイクルのCとA)済むこと。

 

 

壮絶な成育歴(実母病死後、父が間を開けずに再婚し、継母と不和)を持った女性が、全て捧げた男性と結ばれて、その男性も古典的に厳しい成育歴持ってるけど、一時期だけでも夫婦水入らずに暮らして【絶対的に守られた】時間を過ごした後、「イエの継承段階」で、隠れてたり、解決したと思っても実は未解決だった家族間諸問題が露呈してきて・・・

「人は、デフォルトでは、良くも悪くも、自分が過去に誰かにそうされたように他人に相対する」・・・とは、娘1が荒れてた頃に、メンタルクリニック主催の学習会で学んだり、子育て本で読むなどして、実感した。
言い換えれば、子ども時代に優しく温かい施しをたくさん受ければ困った人を積極的に助ける傾向が強まるし、子ども時代に辛い思いをすれば、自分がされて辛かったことを別の誰かにしてしまう危険性が高まる。
仮に不遇な子ども時代を送った人が運よく別の誰かへの報復を回避できても、

(1)自分がしたかったけどできなかったことをする人に無意識に嫉妬するようになる、

(2)自分が子ども時分にされたかったけれどしてもらえなかったことを遮二無二次世代(子ども、後輩など)にして世話を焼く

のどちらかか、両方になる。
母の成育歴の壮絶さは子ども時分から聞かされているし、思春期には、私の成績等の事で祖母に(母の姑に)伯母と比較されて値踏みされる母を見てしまったこともあるので、「私の生き方そのものが、母の無意識な嫉妬を駆り立てる要素に満ちているんだな」とは、思春期から「母を怒らせると何となくヤバゲ」という感覚で感じていた。(母を怒らせないようにすればするほど、実は共依存沼にはまるのだが)

母と私互いの半生を年表ぽく図示してみると、母がいかに「基盤のしっかりした(男子が浪費せず安定して稼ぎ、女子が家に定着している、を共に満たす)家庭」に憧れ、それを実現することで幸せになろうとしたかが痛いほどわかる。
ただ、私が子ども時代に見てきた母は、「ホントはちょっとさぼりたいのに自分を追い立ててしっかりやろうと頑張る結果不機嫌になってる」姿とか、「ホントは○○な夢があったけど、時代が時代だから、結婚したら家の中のことがんばる。それしかない(=それが一番安全と感じる)のよ」てこぼしてる姿だった。
人によっては、「○○キライ/嫌」と言いつつも、「キライ/嫌/めんどくさい=すごく嫌なわけじゃないけど【ちょっとしんどい】程度で言語化することでストレス発散して再度がんばる」で、対象の○○が心底辛いわけでないらしい。(娘1にとっては、母がこのタイプに映るそうだ)

 

私は、最初の就職で挫折を覚え、「ホントは挫折して人生リセットしたくなりました」を【結婚】で上塗りして転職してしまうのだけれど(転職②部分)、「結婚する時にキャリアへの未練を残している」ところも、母から見れば気に入らないポイントなのかなぁ・・・
母は結婚後はほぼ専業主婦で、私は第1子(妊娠)から15年が専業主婦だが、母が「主婦こそ天職♪幸せへの扉」と思ってする主婦業と、「仕方ないなぁ」と思いながらした私の主婦業では、同じ家事をしても質が段違いなことは否めない。

んで、ここまで母娘年表的なもん書いてみて思ったこと。

本気で仲良くなりたいなら、大まかな方向性だけでも揃えろや!

 

娘達に言わせると、母と私は、キリスト教徒とイスラム教徒くらいに考え方違うらしいから、大まかな方向性揃えるにも片方がかなり持論曲げて相手に合わせるんで、【折れる力】がかなり求められる。
「自分の大切な母が辛い思いしないで済むように、自分が辛くなっても耐えて頑張る」だとアダルトチルドレン思考(=平たく言うと自己犠牲癖)だけど、「あえて相手や周囲に合わせることは、自己否定や我慢でなくて、新たな自分の良さや可能性を見つけるチャンス」ととらえて自我を引っ込める式の【折れる】を習得できたら、自分も周りもみんな笑顔になれるんじゃないかなぁ・・・
昔のお嫁さんって、無意識にそうしてきたし、また自分から折れたお嫁さんを、昔の夫殿や姑舅さんなどは的確にほめてねぎらってきたんだろうなぁ・・・

これまで夢実現には「意志力(貫く系)」「周囲に流されないこと」系の力を伸ばそう・・・て啓発するライフハックが多かったけど、「疲れるだけの負け戦を戦うくらいならば自我や目標もあえて引っ込めて、時流や場の空気に乗っかる」系のライフハックも、もっと注目されてもいいんじゃないか?
母の口癖「あの頃はそうするしかなかったのよ(´;ω;`)」、私は長ネギと同じくらい嫌いで、聞いただけで虫唾が走るけど、その嫌いな言葉も見方を変えれば、あるいは話し手によっては「思考(思い悩む)を停止して時流や場の空気に乗る」を意図することだってあるのだ。

 

私は深読み屋なところがあって、かつ深読みする自分が好きだから(たとえ深読みしたために気疲れしてでも、理由や根拠を知ること自体は楽しい)、「思考停止」を今まで地味に忌み嫌ってきた。
だけど、威圧的に響く

いいから言われた通りにしろ!

その心は

言われた通りにすれば、今まで見たことねぇお楽しみに会えるぞ♡

なのかもしれないなぁ(・・・と想像することが深読み)

 

折れる力をつけるには・・・折れる必然性に満ちた環境に身を置くには・・・

 

 

母は今日、死んだ(私の脳内でのみ)。
母の中での「娘としての私」は、25年前に(私の結婚時)とうに死んでいる。
今母は、嫁(という作品)としての私が失敗作に終わって、でも捨てたり追い出すこともできず、途方に暮れている。

—と念じ始めて私は、初詣後、現母(=脳内で明日から姑になる人)の実娘としての自分を、ここで花火にして燃やし尽くしてきた。

 

明日から、「戸籍上は親子だけど心は嫁」になって、トメのいいとこをたくさん見つけて、ともに幸せになるを目指す。

 

 

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